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2019年前半

 投稿者:鷹目  投稿日:2019年 7月 2日(火)20時53分54秒
  福原
神社の玉垣健在。

浜松鴨江
旅館も1社3軒のみ営業。
裏路地に古い家屋があるものの往年の面影なし。
一番奥の駐車場に石碑があるらしい。(ネット情報)

浜松花街
建て替え割烹料亭あり。

静岡花街
老舗料亭浮月楼が有名。

川辺
風俗店一軒あり。唯一の名残か。

三島遊廓
電柱のプレートに「新地支」

三島新開地
風俗店一軒あり。風俗店一軒あり。唯一の名残か。

三島本町
割烹料亭がちらほら。そんな中、一軒のピンサロ異彩を放つ。

御坊北新地
去年の台風の影響か、2軒ほど傷みが目立つ。
転業旅館料理屋も営業している風ではない。


御坊南新地
16年に訪れた時とさほど変わらず。

 
 

【 京口新地 】 真実の “ 大正樓 ” は 何処に !? 【 阿部 定 】 ⑥

 投稿者:夕凪  投稿日:2019年 4月 8日(月)21時08分32秒
編集済
  YAHOO! ニュースの配信で“ 大正楼取り壊へ ”との記事を
目にした方も多いと思います。

そこで、何故、地元新聞はあの建物を“ 大正楼 ”として報道したのか?
まさか地元紙がネット情報を鵜呑みに?

何か根拠があるはずだと思い確認してみました。
やはり同紙はキチンと裏付けをとろうとしたようでした。
その方法とそれから分かった事をご報告させて頂きます。


1.地元の古老の方に取材を行い、3名から下記の証言を得た。
2.90歳位の方の証言:大正楼である ・・・・
    87歳の方の証言:大正楼の分店である。
    85歳の方の証言:大正楼の分店である。
3.上記から分店か否かは不明であったが、記事では「大正楼」と表現した。
4.本店が別にあるとしても、阿部定がどちらに居たのか、
    あるいは状況に応じて、本店・支店両方に出てたのかは不明

以上より、ネット上で大正楼とされる“ あの建物 ”は“ 大正楼分店 ”だったものとボクは考えます。


●(参考) 丹波新聞より
2019年03月04日:阿部定いた元遊郭、行政代執行開始 状況確認、本格的に取り壊しへ
ttps://tanba.jp/2019/03/%E9%98%BF%E9%83%A8%E5%AE%9A%E3%81%84%E3%81%9F%E5%85%83%E9%81%8A%E9%83%AD%E3%80%81%E8%A1%8C%E6%94%BF%E4%BB%A3%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E9%96%8B%E5%A7%8B%E3%80%80%E7%8A%B6%E6%B3%81%E7%A2%BA%E8%AA%8D%E3%80%81/">https://tanba.jp/2019/03/%E9%98%BF%E9%83%A8%E5%AE%9A%E3%81%84%E3%81%9F%E5%85%83%E9%81%8A%E9%83%AD%E3%80%81%E8%A1%8C%E6%94%BF%E4%BB%A3%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E9%96%8B%E5%A7%8B%E3%80%80%E7%8A%B6%E6%B3%81%E7%A2%BA%E8%AA%8D%E3%80%81/

2019年02月26日:阿部定がいた元遊郭取り壊しへ 「大正楼」倒壊の危険性高く
ttps://tanba.jp/2019/02/%E9%98%BF%E9%83%A8%E5%AE%9A%E3%81%8C%E3%81%84%E3%81%9F%E5%85%83%E9%81%8A%E9%83%AD%E5%8F%96%E3%82%8A%E5%A3%8A%E3%81%97%E3%81%B8%E3%80%80%E3%80%8C%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E6%A5%BC%E3%80%8D%E5%80%92%E5%A3%8A/">https://tanba.jp/2019/02/%E9%98%BF%E9%83%A8%E5%AE%9A%E3%81%8C%E3%81%84%E3%81%9F%E5%85%83%E9%81%8A%E9%83%AD%E5%8F%96%E3%82%8A%E5%A3%8A%E3%81%97%E3%81%B8%E3%80%80%E3%80%8C%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E6%A5%BC%E3%80%8D%E5%80%92%E5%A3%8A/
 

2018年総括

 投稿者:鷹目  投稿日:2018年12月30日(日)18時05分7秒
  長野県
松本花街
松本城近く松本館を中心に6軒前後。
事前に書籍に乗っていた松本芸妓組合の電話番号を検索したがヒットせず。

長野鶴賀新地跡
神社に新地跡碑、まだ存在せり。

おまけ-2017年総括
白浜新地
10軒程度雰囲気のある建物存在。
一応白浜新地と明記するが、統一組織がなく、検番が複数存在状態だったそう。
まだ5名ほど芸妓さん健在。

新宮大王地
10件ほど建物現存。
建替えも屋号同じ店もあり

三本杉、浮島ともに痕跡なし。
 

【 京口新地 】 真実の “ 大正樓 ” は 何処に !? 【 阿部 定 】 ⑤

 投稿者:夕凪  投稿日:2018年10月 5日(金)01時10分32秒
編集済
  入手した画像データより


●池上村貸座敷区域図面

明治41年1月15日貸座敷営業免許地に指定、仝上7月開業


この図面に記されてる中で最も早く(明治41年10月28日:1911)に
開業したのは高盛楼と言う妓楼でした。
※篠山楼の名前はありませんでした。

また大正楼は、当初、田中楼として明治44年11月8日(1911年)に開業し、
大正2年3月30日(1913年)に営業者が変わり、
名称も、新元号に因んだのか“ 大正楼 ”となったようです。
更に大正4年9月26日(1915年)に営業者がY氏に変更されたとあります。

この大正楼の場所は、現在、大正楼とされる現存する妓楼の対面の一角
かって2戸1のような建物(の内、向かって右側)の
あった場所のように思われます。

また現在“ 大正楼(分店?) ”とされる場所には
建物はなにも書かれていませんでした。


現在、“ 大正楼 ”とされる、現存するあの建物は
一体何なのでしょうか?



 

【 京口新地 】 真実の “ 大正樓 ” は 何処に !? 【 阿部 定 】 ④

 投稿者:夕凪  投稿日:2018年 8月 9日(木)03時45分10秒
編集済
  ● 備忘録ノ-ト(2) 妓楼数の変遷


明治41年07月(1908年:開設時)1軒

 ①篠山楼(娼妓数 7名)


明治41年12月(1908年)12軒 娼妓数 79名

 ①吉野楼(14名)②小川楼(06名)③彦根楼(12名)④田中楼(08名)
 ⑤一力楼(08名)⑥常盤楼(05名)⑦金松楼(02名)⑧高森楼(02名)
 ⑨鬼楽楼(04名)⑩都 楼(07名)⑪藤田楼(05名)⑫戎 楼(06名)


昭和33年01月(1958年)10軒  ※廃業:昭和33年03月30日(1958年)

 ① 旭 、②松月、③細見、④都一、⑤都二
 ⑥千草、⑦大正、⑧萬可、⑨昭和、⑩一楽


●赤線 八上新地 (篠山町)

 明治40年(1907)、歩兵七十連隊の設置とともに形成された遊郭で、
 翌41年許可されたもの。

 昭和33年1月には、業者10人、売春婦14人、引き手13人がいたが、3月30日に至って閉鎖。

   飲食店・・・2、住宅・・・2、自動車運転者・・・2、呉服商・・・1、農業・・・1、
   公務員・・・1、郵便局員・・・1に転廃業した。

 その後の動静は全く健全である。
                      兵庫県発行の1959年の資料より



●その他の京口新地に在った妓楼(年代不詳)

 金瓶楼 ttps://edu.city.sasayama.hyogo.jp/c-library/syoukai/kyodo/5/120.html

 美屋古楼(大正6年:1917年頃)ttps://edu.city.sasayama.hyogo.jp/c-library/syoukai/kyodo/5/122.html



 

【 京口新地 】 真実の “ 大正樓 ” は 何処に !? 【 阿部 定 】 ③

 投稿者:夕凪  投稿日:2018年 8月 9日(木)03時01分9秒
編集済
  ●備忘録ノ-ト(1)

1.『はじめての愛 あべ定さんの真実を追って…』の著者である
   丸山友岐子さんにお聞きしたかった ・・・・

   丸山友岐子(1934~1995)
   ttp://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/40246.html


2.なんで「港公民館」なの? 「京口(きょうぐち)」と「港(みなと)」

  ttps://www.city.sasayama.hyogo.jp/timei/timei24n.html


3.旧細見楼と旧大正楼分店(FBより)

  投稿者は『秋田県の遊廓跡を歩く』を執筆された方です。
  現地で、裏手の川を挟んで向かいにお住まいの方からお聞きしたそうです。

  (1)旧細見楼 ttps://www.facebook.com/photo.php?fbid=484323678309427&set=a.373223606086102.87016.100001953980021&type=3&theater

  (2)旧大正楼分店 ttps://www.facebook.com/photo.php?fbid=484324858309309&set=a.373223606086102.87016.100001953980021&type=3&theater




  
 

【 京口新地 】 真実の “ 大正樓 ” は 何処に !? 【 阿部 定 】 ②

 投稿者:夕凪  投稿日:2018年 7月20日(金)11時36分2秒
編集済
  徒然なるままにインターネットで遊んでいると、
たまに驚くような情報に出会います。

今回がまさにそれでした。なんと
“ 大正楼の宿屋兼特殊飲食店の営業許可証 ”に
巡り会ってしまったのです(赤い糸?)。

 ttps://aucview.aucfan.com/yahoo/b158731794/

この許可証には 大正楼の住所が“ ▲77-4 ”と記載されています。

この住所をgoogleマップで検索すると、乃木ビンゴ!
京口新地の一角に赤い「ピン」が立ちました。
でも残念ながら、その場所は大正楼跡とされる地点ではありません。
大正楼跡とされる場所の対面(トイメン)の一画を指し示しました。
※大正楼跡とされる場所の住所は“ ▲79-26 ”でした。

篠山市役所にお聞きしたところ以下の事が分かりました。

①現在も篠山市には住居表示の制度がなく“ 地番 ”のみを使用している。
②1930年に旧篠山町が八上村等と合併し新篠山町となった時も、
 旧住所以下の番地は、そのまま旧来の番地を引き継いだ。

以上の事より、現在、大正楼跡とされる場所にあるアノ建物は、
1946年大正楼に特殊飲食店としての営業許可が下りた
“ 大正楼 ”の建物では無い事になります。

(参考)
※京口新地の指定区域は“ ▲76~▲79 ”です。
※ちなみに阿部定さんは1931年頃6か月間ほど大正楼にいたそうです。

はたして真実の“大正樓”は何処にあったのでしょうか?
また現在のアノ大正楼とされる建物は一体何なのでしょうか?
※正直、アノ大正楼とされる建物が何かについては分かりませんでした。
 もっとも、ネット上では大正楼分店との情報があります。

中途半端な書き込みで不完全燃焼の思いをされた方もいらっしゃるかと
思いますが御容赦ください・・・・

 

【 京口新地 】 真実の “ 大正樓 ” は 何処に !? 【 阿部 定 】 ①

 投稿者:夕凪  投稿日:2018年 7月18日(水)23時32分46秒
編集済
  大正楼 京口新地 篠山 etc. をキーワードにしてネット検索すると
必ず角店でその四角い角を切り取ったあの建物の画像が出てきます。

でも、どうして画像のあの店が“ 大正樓 ”であると特定したのか、
その理由を述べた書込みを見た事はありません。
自明のように“ 大正樓 ”として扱われています。
googleマップでも、あの建物の場所を“ 大正樓跡 ”としています。

私の知る限り“ 大正樓 ”の建物を推定しようとする試みは
木村聡さんが『 実話ナックルズ 』(2010年7月号)に書かれた
「幻ではなかった 阿部定がいた遊郭」と言う記事のみです。
(または木村聡さんの記事を拠り所とした書込みばかりです。)

その木村さんの記事も、「(木村さんの訪問時に残存した)
この3軒のうちどれかがそうだとしたら、答えを出すのは簡単だ。」
と、慎重に前提を置いて書かれておられ、

丸山友岐子さんと言う作家が自著執筆の為に
タクシーの運転手に京口新地へ案内してもらい、
元「大正楼」の御主人にインタビューをされ、
著書の中で、大正楼の造りについて

 四角い家の一角を切って多角形にし、
 どの道から来る客もキャッチしようという娼家の知恵。
 飛田だけでなく、松島も、篠山も
 角店は殆んど例外なく、四角の角を切って玄関にしていた。

と、簡単に描写されているのを、その根拠とされています。
※丸山友岐子著『 はじめての愛-阿部定さんの真実を追って・・・ 』
(かのう書房、1987年2月25日発行)

でも『 はじめての愛 』の中には
「百年を経た床板はみがき込まれて黒光りしていた。」とか
明らかに誤った記述(誇張or省略?)も見られます。
∵同書発行(1987年)時、京口新地(申請時は池上村貸座敷)は
明治41年(1908年)開業から79年しか経っていません。

はたして、真実の “ 大正樓 ” は 何処に !?

 (以下、続く)


 

渡辺寛著作リスト(更新版)

 投稿者:夕凪  投稿日:2017年12月10日(日)01時08分22秒
編集済
  ●渡辺寛氏の著作リストを更新しました。
 ※出版順で記載しました。

№ タイトル 掲載誌 発行年 備考
---------------------------------------------------------------------------
01.詫びる(小説) 文学評論 1935.05.01 新人推薦号
02.郷臭 (小説) 日本浪曼派 1935.06.XX
03.退潮期の一挿話 (小説) 日本浪曼派 1935.08.XX
04.大島紀行 (小説) 日本浪曼派 1936.04.XX
05.水晶 (小説) 日本浪曼派 1936.09.XX
06.弁慶橋 (小説) 日本浪曼派 1937.03.XX
---------------------------------------------------------------------------
07.赤線区域の経済白書 東京案内 1954.01.30
08.赤線漫談 東京案内 1954.05.01
09.赤線凉談 東京案内 1954.07.01 新東京通信編集長 渡辺寛
10.あのまち・このはな花街めぐり 東京・ヨコハマなんでもわかる 1955年版 1955.04.20
11.よるの女性街・全国案内版 旅行の手帖 №20 美女・民謡めぐり特集 1955.05.20
12.『全国女性街ガイド』 1955.08.20
13.よるの女性街・全国案内版  旅行の手帖 №23 美女・民謡めぐり特集 1955.08.20
14★旅の女 わらぐつ 週刊サンケイ読物 1956.02.05
15.女体風土記 東北地方の巻 面白倶楽部 1956.03 光文社
16★旅の女 桃 週刊サンケイ読物 1956.03.25
17.千人の職業女性に接した私の結論 100万人のよる 1956.04.01
18.旅の女 京の桜 週刊サンケイ読物 1956.04.08
19★旅の女 山王祭 週刊サンケイ読物 1956.04.15
20.旅の女 野宴 週刊サンケイ読物 1956.04.22
21.『鄙びた湯・古い湯治場』 1956.06.01  新東京通信編集局長 渡辺寛
22.遊ぶ湯の里 芦原 百人百湯‐作家・画家の温泉だより‐旅行の手帖 1956.06.20 随筆家 渡辺寛
23.女が名物の秋の温泉旅行ガイド 熱海・伊香保・湯村・伊豆長岡・白浜・城崎・粟野岳・定義温泉 100万人のよる 1956.10.01
24.『温泉・女・風土記』 1956.11.15
25.東西温泉千夜一夜 100万人のよる 1957.01.01 大鰐・道後温泉
26.『酒と女』 1957.01.25 ※著者氏名なし
27.東西温泉千夜一夜 100万人のよる 1957.02.01 沼尻・玉造温泉
28.東西温泉千夜一夜 塩原と下呂の巻 100万人のよる 1957.04.01
29.東西温泉千夜一夜 肘折と和倉の巻 100万人のよる 1957.05.01
30.私は知りたい 100万人のよる 1957.06.01 随筆家
---------------------------------------------------------------------------
31.女のいる全国避暑地ガイド 100万人のよる 1963.08.01 新東京通信社 渡辺寛&旅行家 中山勇治 共同編集
 

料理旅館業についての御願い:長野新地

 投稿者:夕凪  投稿日:2017年 7月28日(金)11時27分38秒
編集済
  昔、投稿したものですが御参考までに(6)

●料理屋営業の継承願い(河内長野市長野町観光協会 → 大阪府公安委員会)

(前略)該氏は河内長野の名望家として之亦人格識見共に優れており
 最近、旅館を譲受けられて現在旅館業を経営中であります。

 両氏は今般何も料理旅館業の許可を受けたいと熱望して居ります。

 かねてより同地区長野新地との悪名がありますが、
 之は戦前に経営宣伝の方策として使用した一地名に過ぎず
 一般に言う従来の遊郭地名と同一視され勝ちなものでは決してなく
 その営業内容が証明されるのであります。

 特に最近においては町名も公園通りと変更し
 その経営方針も亦一新大いに見るべきものがあります。


                      (申請年月不明)
 

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