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最近の気になる本

 投稿者:のりっく  投稿日:2019年 2月13日(水)12時04分22秒
  気になるタイトルの本が次々発売で、いろいろ大変(笑

ラスト・オブ・カンプフグルッペVII (高橋慶史)
https://amzn.to/2Dvwc8h
いよいよ4月1日発売決定!予約開始されています。

ドイツ国防軍砂漠・ステップ戦必携教本 (ドイツ国防軍陸軍総司令部)
https://amzn.to/2Ds0MiU

ヒトラーの特殊部隊 ブランデンブルク隊(ローレンス・パターソン)
https://amzn.to/2tge8ub
 
 

これも

 投稿者:のりっく  投稿日:2019年 1月16日(水)10時41分18秒
  東部戦線のスターリングラードに軍医として参加した日本人がいた!という驚愕の研究成果。日ソは中立状態だからあくまでも個人の資格の義勇兵扱いという方便で、戦場医療の研究に行かれた模様。
 

薄い本参上

 投稿者:のりっく  投稿日:2019年 1月16日(水)10時35分30秒
  調子に乗ってまとめて3冊購入。薄い本だが中身はガッツリ!
 

最近の購入本

 投稿者:のりっく  投稿日:2019年 1月11日(金)19時57分45秒
  Panzerbook.com さんで掘り出し物 Verbände und Truppen der deutschen Wehrmacht und Waffen-SS im Zweiten Weltkrieg 1939-1945 7, 10, 11, 12 の4冊を爆買い、といっても、もちろんメジャーな冊には手が出ないからマイナーなところからコツコツと(笑  

明けましておめでとうございます

 投稿者:のりっく  投稿日:2019年 1月 1日(火)13時07分31秒
  2019年10月で「泡沫戦史研究所」は前身の「のりっくの戦史資料室」開設から20年を迎えます。今後も名も無き小部隊、臨時編成部隊、外国人義勇兵部隊、東部大隊、警察部隊、補助警察部隊(シューマ)や対パルチザン部隊などなど、戦局にはほとんど関係なく泡沫のように消えていった部隊の戦史・部隊編成・背景などを研究して行きたいと思います。
20周年イヤーである今年はさらに以前から興味を持っていた「戦時商船の戦い」を取り上げ、昨年末にプレ版として新設した「極東の異邦人:外国商船の太平洋戦争」を拡充してゆきます。
内容としては、「封鎖突破船「ウッカーマルク」爆沈のその後」、「仮装巡洋艦「トール」に拿捕された商船のその後」、「封鎖突破船の戦い」などなど、予定しています。
何はともあれ本年もどうぞよろしくおねがいいたします。
 

極東の異邦人

 投稿者:のりっく  投稿日:2018年12月28日(金)10時45分47秒
編集済
  来年2019年10月でこのHPもなんと20周年。これを記念して「極東の異邦人:外国商船の太平洋戦争1941~1945」のコンテンツを新展開します。(大丈夫か?笑
お題としては第2次世界大戦~太平洋戦争の開戦により極東で足止めされてしまい、否応なく戦争に巻き込まれることとなった外国商船のお話です。その船籍は同盟国はもちろんのこと中立国も含めて多岐にわたり、有名な仮装巡洋艦や封鎖突破船のドイツ船、イタリア船から、拿捕された連合国船籍の商船、あるいはたまたま極東海域にいたために帰国の道を絶たれた中立国船籍の商船までさまざまでした。
まずは「プレ版」として「神戸港のイタリア艦の謎」を公開しました。どうぞお楽しみください。
 

シェルブール要塞のドイツ軍守備隊

 投稿者:のりっく  投稿日:2018年12月18日(火)00時08分13秒
  マイナー部隊史に長らく放置プレイであった「シェルブール要塞のドイツ軍守備隊」を追加しました。  

7.封鎖突破船「ヴェーザーラント」(Weserland)

 投稿者:のりっく  投稿日:2018年12月12日(水)11時51分22秒
   封鎖突破船「ヴェーザーラント」の前身は1922年に建造されたタンカー「エルムラント」(Ermland)であり、第二次大戦勃発時には高雄港に停泊していました。その後1年近く高雄港に留まったあと、1940年7月28日に高雄港を出港し8月5日には神戸港に到着しました。
 1940年12月29日、「エルムラント」は封鎖突破船として神戸港を出港し、一路ボルドーを目指しました。途中1941年1月5日~9日の間にはマーシャル諸島周辺で仮装巡洋艦「オリオン」、随伴タンカー「Ole Jacob」と会合し、撃沈した商船の船員350名を移乗させました。また装甲艦「アドミラル・シェアー」からも商船の船員56名を移乗させました。「エルムラント」はその後ホーン岬から大西洋を突破し、1941年4月4日に無事ボルドーに到着しました。
 「エルムラント」は「ヴェーザーラント」(Weserland)へと改名され、1942年8月17日にボルドーを出港すると、再び日本へ向かうためビスケー湾に乗り出しました。しかし、オルテガル岬(Ortegal)沖で3機の敵機に襲撃され、対空砲火で2機を撃墜し1機は撃退しましたが、近海では「ウッカーマルク」(Uckermark)も攻撃を受けたため、スペインのフィステーラ(Finisterre)に一時退避したあとボルドーに引き返しました。
 1942年9月9日、「ウッカーマルク」と共に再度ボルドーを出港する際には水雷艇T10、T13、T14の3隻が護衛として付き添い、ビスケー湾を突破しました。その後大西洋~インド洋を突破して1942年12月1日には前日に「ウッカーマルク」の爆発事故があったばかりの横浜港に入港しました。乗員は鎌倉で休養を取り長い航海の疲れを癒しましたが、鎌倉で休養していた乗員からは後に潜水艦Uit24の乗組員として転属したものもいるため、一部の乗員はここで交代し、そのまま日本に長期滞在した乗員もいたものと思われます。
 1942年12月28日、「ヴェーザーラント」はカロリン諸島のラモトレック(Lamotrek)環礁へと向かい、ここで仮装巡洋艦「オリオン」と随伴タンカー「Ole Jacob」に会合しました。これは1941年1月5日以来でしたが、会合は数時間で終了し「ヴェーザーラント」はそそくさと分離して日本へと帰還しました。
 1943年1月5日、横浜港を出港した「ヴェーザーラント」はバタビアへと向かい、ドイツ向け貨物として生ゴム、錫、タングステンを積載すると2月6日バタビアを出港しましたが輸送は中止となりバタビアへと引き返した後、横浜港に帰還しました。
 1943年10月26日、再度横浜港を出港すると、今度は順調にインド洋を突破し、大西洋ではイギリス貨物船「Glenbank」に偽装しながら大西洋を北上しました。

 1944年1月1日アセンション諸島を発進したVB107の哨戒機は7時40分に北上する独航貨物船を発見し、アメリカ海軍の駆逐艦「Somors」が情報により直ちに現場海域に急行しました。貨物船はケープタウンからモンテビデオに向かうイギリス貨物船「Glenbank」と名乗りましたが、B24(ブラボー9)が接近すると対空砲火を開始し、B24は損傷して基地に帰還しなければなりませんでした。9時30分こんどは別のB24(ブラボー12)が再び貨物船を発見して接近しましたが、再び対空砲火で損傷して基地に引き返しました。
1月2日、4機のB24が貨物船を発見し攻撃を開始しましたが、今回も激しい対空砲火によりこのうちの1機のB24(ブラボー12)が被弾し基地に引き返しました。ブラボー12は昨日ほど幸運ではなくエンジン3基が停止するなど大きな損傷のため基地の手前でついに墜落し、搭乗員9名は全員戦死しました。
 再三にわたり強力な対空砲火で哨戒機を退けて姿をくらますかと思われた「ヴェーザーラント」でしたが、1月3日22時にはアセンション諸島~ブラジルのCaravelas、Bahiaの間のほぼ中間の海域で駆逐艦「Somors」がついに「ヴェーザーラント」を発見しました。駆逐艦「Somors」は23時に砲撃を開始し、4日の0時30分に撃沈しました。対空戦闘で戦死した5名を除き乗員の133名(士官17名と水兵116名)は全員救命ボートで脱出し、4時には駆逐艦「Somors」に救助されモンテビデオ港に運ばれました。
 

6.貨客船「ハーフェルラント」(Havelland)

 投稿者:のりっく  投稿日:2018年12月12日(水)08時56分24秒
編集済
   「ハーフェルラント」は1921年にハンブルクーアメリカラインの貨物船として建造されました。1939年9月、大戦の勃発により日本に退避しましたが、帰国の機会がないまま日本への滞在は長期化しました。1942年9月、日独伊三国軍事協定により「ハーフェルラント」はドイツ人船員乗組みのまま日本海軍に傭船されることとなりました。
 1942年11月30日、横浜港での封鎖突破船「ウッカーマルク」爆発事故の際には隣の3号岸壁に係留中であったため少なからぬ損傷を受けたものの難を逃れ、横浜船渠で修理が行われました。1943年12月26日22時頃、串本沖を西航中の「ハーフェルラント」は樫野埼灯台東方でアメリカ潜水艦「ガーナード」(Gurnard)の放った魚雷4本のうちの1本が命中して損傷し、串本港に緊急避難した後、曳航されて神戸港へと退避しました。
 1945年5月7日、ドイツの降伏に伴い日本側に接収され「竜宮丸」へと改名したとされますが、明確な記録はのこっていないようです。1945年6月22日、触雷のため損傷して座礁し、終戦後の9月には台風によりさらに損傷したため、船腹不足の折でしたが復旧は放棄され1946年1月には解体処分されました。
 

5.貨物船「オゾルノ」(Osorno)

 投稿者:のりっく  投稿日:2018年12月 1日(土)00時42分45秒
   「オゾルノ」は1938年12月にハンブルクで建造され、1939年1月6日からは南米西岸航路への処女航海を行い、8月からは定期航路へと就航しました。1939年9月、南米で大戦の勃発を知った「オゾルノ」は一旦中立国であるチリのタルカワノ港(Talcahuano)に寄港しましたが、これは予定外の長期寄港となりました。1941年春、「オゾルノ」は同港に寄港していた「Tacoma」と「Portland」の積荷である鉱石、羊毛、豚毛を引き受け、日本へ向かうこととなりました。1941年6月18日、「オゾルノ」は機械故障のため太平洋上で操船不能となりましたが、チリのコキンボ(Coquimbo)から日本へ向かっていた貨物船「Bogota」に曳航してもらい、7月3日に横浜港にたどり着くことができました。
 1941年8月11日から12月2日にかけて、「オゾルノ」は三菱重工横浜船渠で3回にわたり入渠修理を受けて復活し、ヨーロッパへ帰る準備に取り掛かりました。イギリス海軍の監視に目を逃れるため船の外観は船員の手により合板、防水シート、塗装を使って目立たないように偽装されました。1941年12月23日、日本が参戦したことにより太平洋でもアメリカ海軍の監視の目が強化された中、横浜港を出港した「オゾルノ」は太平洋を横断して南米のホーン岬を回り、1942年2月19日にボルドー港に無事到着しました。

 「オゾルノ」の2回目の来日は1943年で、3月28日にボルドーを出港すると大西洋~インド洋を突破して無事バタビア(ジャカルタ)に到着し、6月4日には再び横浜港に入港しました。帰路は神戸港でドイツ向けの貨物としてゴム:3,944t、錫:1,826t、タングステン:180tが搭載され、同時に8月に呉に来航して日本へ譲渡された元U511の乗員47名と1942年11月30日の爆発事故で艦を失った元「ウッカーマルク」の乗員数名もシンガポールまで便乗することとなりました。
 1943年10月27日、「オゾルノ」は横浜港を出港し、途中シンガポールで便乗者を降ろした後、インド洋を横断すると11月15日には喜望峰を回り南大西洋に入りました。「オゾルノ」はお得意(?)の偽装を行い、イギリス貨物船「Prome」に偽装して北上したようです。12月16日~17日にはアメリカ~ジブラルタル航路を、12月19日にはアメリカ~イギリス航路を横切り、12月21日~22日にはアゾレス諸島北方で進路を東に取り、一路ビスケー湾をめざしました。
 12月25日朝、ついにサンダーランド飛行艇に発見されましたが、正午にはボルドーから第8駆逐戦隊と第4水雷戦隊が護衛として出撃して「オゾルノ」を迎えました。12月26日、「オゾルノ」はジロンド河河口に到着しこれで一安心と思われた直後、河口に沈没していた封鎖突破船21号「Noster」の残骸と衝突しました。このため船体は大きく破損して12mの破孔ができ、積載した貴重な貨物を救うためには船体を海岸に乗り上げるしか選択肢はありませんでした。その後貨物を降ろして軽量化した「オゾルノ」はボルドーへと回航され、貴重な貨物はなんとか救われました。イギリス空軍は12月31日、爆撃により「オゾルノ」の完全破壊をもくろみましたが、これは視界不良により成功しませんでした。
 1944年8月25日、満身創痍の「オゾルノ」はボルドーからジロンド河河口に運ばれて爆破され、こうして2回に渡り日本からの帰還し、成功した最後の封鎖突破船となった歴戦艦「オゾルノ」の波乱万丈の航海は終了しました。
 

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