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渡辺寛著作リスト(更新版)

 投稿者:夕凪  投稿日:2017年12月10日(日)01時08分22秒
編集済
  ●渡辺寛氏の著作リストを更新しました。
 ※出版順で記載しました。

№ タイトル 掲載誌 発行年 備考
---------------------------------------------------------------------------
01.詫びる(小説) 文学評論 1935.05.01 新人推薦号
02.郷臭 (小説) 日本浪曼派 1935.06.XX
03.退潮期の一挿話 (小説) 日本浪曼派 1935.08.XX
04.大島紀行 (小説) 日本浪曼派 1936.04.XX
05.水晶 (小説) 日本浪曼派 1936.09.XX
06.弁慶橋 (小説) 日本浪曼派 1937.03.XX
---------------------------------------------------------------------------
07.赤線区域の経済白書 東京案内 1954.01.30
08.赤線漫談 東京案内 1954.05.01
09.赤線凉談 東京案内 1954.07.01 新東京通信編集長 渡辺寛
10.あのまち・このはな花街めぐり 東京・ヨコハマなんでもわかる 1955年版 1955.04.20
11.よるの女性街・全国案内版 旅行の手帖 №20 美女・民謡めぐり特集 1955.05.20
12.『全国女性街ガイド』 1955.08.20
13.よるの女性街・全国案内版  旅行の手帖 №23 美女・民謡めぐり特集 1955.08.20
14★旅の女 わらぐつ 週刊サンケイ読物 1956.02.05
15.女体風土記 東北地方の巻 面白倶楽部 1956.03 光文社
16★旅の女 桃 週刊サンケイ読物 1956.03.25
17.千人の職業女性に接した私の結論 100万人のよる 1956.04.01
18.旅の女 京の桜 週刊サンケイ読物 1956.04.08
19★旅の女 山王祭 週刊サンケイ読物 1956.04.15
20.旅の女 野宴 週刊サンケイ読物 1956.04.22
21.『鄙びた湯・古い湯治場』 1956.06.01  新東京通信編集局長 渡辺寛
22.遊ぶ湯の里 芦原 百人百湯‐作家・画家の温泉だより‐旅行の手帖 1956.06.20 随筆家 渡辺寛
23.女が名物の秋の温泉旅行ガイド 熱海・伊香保・湯村・伊豆長岡・白浜・城崎・粟野岳・定義温泉 100万人のよる 1956.10.01
24.『温泉・女・風土記』 1956.11.15
25.東西温泉千夜一夜 100万人のよる 1957.01.01 大鰐・道後温泉
26.『酒と女』 1957.01.25 ※著者氏名なし
27.東西温泉千夜一夜 100万人のよる 1957.02.01 沼尻・玉造温泉
28.東西温泉千夜一夜 塩原と下呂の巻 100万人のよる 1957.04.01
29.東西温泉千夜一夜 肘折と和倉の巻 100万人のよる 1957.05.01
30.私は知りたい 100万人のよる 1957.06.01 随筆家
---------------------------------------------------------------------------
31.女のいる全国避暑地ガイド 100万人のよる 1963.08.01 新東京通信社 渡辺寛&旅行家 中山勇治 共同編集
 
 

料理旅館業についての御願い:長野新地

 投稿者:夕凪  投稿日:2017年 7月28日(金)11時27分38秒
編集済
  昔、投稿したものですが御参考までに(6)

●料理屋営業の継承願い(河内長野市長野町観光協会 → 大阪府公安委員会)

(前略)該氏は河内長野の名望家として之亦人格識見共に優れており
 最近、旅館を譲受けられて現在旅館業を経営中であります。

 両氏は今般何も料理旅館業の許可を受けたいと熱望して居ります。

 かねてより同地区長野新地との悪名がありますが、
 之は戦前に経営宣伝の方策として使用した一地名に過ぎず
 一般に言う従来の遊郭地名と同一視され勝ちなものでは決してなく
 その営業内容が証明されるのであります。

 特に最近においては町名も公園通りと変更し
 その経営方針も亦一新大いに見るべきものがあります。


                      (申請年月不明)
 

長野温泉郷の誕生:長野新地

 投稿者:夕凪  投稿日:2017年 7月28日(金)11時26分20秒
  昔、投稿したものですが御参考までに(5)

●河内長野に〝 温泉郷 〟

  河内長野市の長野観光協会では同市長野町、
 府立長野公園下の石川ほとりからわき出る鉱泉で、
 付近一体の温泉開発を計画していたが、
 このほど府温泉審議会の許可が内定したと通知があった。

 近く湯量調査をしたうえ工事にかかり、
 来春には「長野温泉」の看板を掲げて開業したいといっている。

 この温泉の中心は黄金橋と落合橋の間の石川右岸にあり、
 明治の末から大正にかけ、
 同市古野町の極楽寺が境内へ引いて「極楽寺温泉」と名づけていたもの。

 その後、利用されぬまま放って置かれたのを昨年、
 地元観光協会が同から使用権を譲り受け、
 府温泉審議会へ温泉許可を申請していた。(中略)

 将来は旅館や大衆浴場の誘致もはかり、
 同市三日市、天美と肩を並べる温泉郷として売り出したいという。


                  1961年3月の※日新聞より
 

河内長野の季節仲居

 投稿者:夕凪  投稿日:2017年 7月28日(金)11時14分35秒
編集済
  昔、投稿したものですが御参考までに(4)

●ここには元赤線の長野新地があり、
川に沿って転業組の飲屋が20軒ばかりある。
“こつまなんきん”で知られたタコツボ女性が4・5人、
宵の口からキャアキャア嬌声を発している。

バーは『京美』『ますみ』『夕亀』『大陸』等があり、
飲屋では『想い出』『あづま』『一五夜』など。

どの店もイッパツ用のオンナが2・3人いて、マツタケ狩りに精を出している。
以前は店の2階へ誘っていたが、取締りがうるさいとかで
最近では店外デートの形をとっている。
ここで面白く遊ぼうと思ったら10時を過ぎて行くとよい。

河内長野はマツタケの産地としても有名で、マツタケ狩りのお客も多い、
そうしたお客を迎えるため、『八○』『山陽荘』といった料亭も3・4軒ある。

この種の料亭には季節仲居と呼ばれる女中さんがいる。
マツタケの季節には河内長野、牡丹のころは長谷寺というように、
季節によってあちこち渡り歩く女たちである。
こういう料亭に入り、スキヤキなどに舌づつみを打ちながら
季節仲居さんを口説いてごらん。
驚くほど簡単にOKする。

「今夜お泊りになって、仕事が終ってからお伺いするわ」
そう言って彼女は部屋を出て行く・・・・・・

                      1972年の成人雑誌より


※“河○長○の温泉街”で検索すると、チョットだけ雰囲気を味わえるかも・・・・・
※“こつまなんきん”は今東光原作の映画(1960年)のようです。
 

長野温泉と長野新地

 投稿者:夕凪  投稿日:2017年 7月28日(金)11時11分51秒
編集済
  昔、投稿したものですが御参考までに(3)

●長野温泉の存在する場所は、天見川と滝畑川の合流点にあり、
 山あいを貫流する石川の流れにそって、わずかの地にひらけた。
 俗に『長野新地』といわれているところに湧出している。

 温泉地には、歓楽的欲求を満たす施設は、欠くことのできない存在であるが、
 長野新地にはこの点において多彩な条件をそなえており、

 南海・近鉄両駅前には商店街・河畔には旅館、背後の東山一帯は長野遊園地として、
 とくに夜桜時機のバルコニーは、独特の情調をかもし逍遥地に適している。


●長野新地の生まれたのはS8年都市計画法ににもとづくもので、
 用途地域として『住宅・商業・興業・遊園』の四地区に分けられ(内務省)、
 カフヱ歓楽街長野新地としてデビューした。

 当時、店の数は30軒、女給・仲居さんの常備が150人、
 花見時や松茸狩時の非常時体制300~400人であった。

 その後第二次世界大戦を経て終戦をむかえ、

 長野温泉として脚光を浴びたのは
 S38~40年の『近鉄沿線温泉まつり行事』を大々的にやってからで、
 当時は観光ブームもあって隆盛をきわめた。


               1974年発行の郷土研究会の資料より抜粋

 

カフエ指定街の誕生:長野新地

 投稿者:夕凪  投稿日:2017年 7月28日(金)11時06分41秒
編集済
  昔、投稿したものですが御参考までに(2)

●カフエを集めて長野新地

 南河内郡長野町内のカフエおよび関係業を長野遊園地に集めて
 新歓楽郷を建設せんとする全国でも珍しいカフエ指定街の工事は
 予定よりも遅れていたがいよいよこのほど着手された。

 場所は遊園地の渓流に臨む景勝、民家や商店街から隔たった理想的の別天地で
 地均しも地割りもすみ、まづ最初の十四軒を新築中である。

 町と歓楽街をつなぐ架橋二つの内一橋も竣工

 こゝ一・二ヶ月中に新名物「長野新地」もいそいそと新装をこらしてデビューする。

 現在長野町内に散在するカフエおよび料理店は約35軒、毎月ふえる一方だが
 これからが順次「長野新地」に移ることによって町民のカフエ苦情も解消される。


                1933年4月の大阪※日新聞より

 

長野新地 (河内長野市)

 投稿者:夕凪  投稿日:2017年 7月28日(金)11時04分26秒
  ●昔、投稿したものですが御参考までに(1)

楠公遺跡に近く景勝の地であった為、観光料理屋が繁昌したのであるが、
戦後派料理屋、飲食店は政令のため寂れたこともあった。

業者は昔の夢を忘れられ得ず、
季節的の行楽客の多い時の収入によって
辛うじて経営を維持してきているようであるが
一方仲居は大阪、堺などで食い詰つめた三流どころが多く、
収入も少ないので自然に売春を行うようになっていった。

昭和31年初めから、料理屋営業のみに切替を警察の指導によって行われた、
泊り客は減少してきたので、同年11月より青線地帯のリストより除外されたが、
売春法の実施により大阪その他売春婦らが同新地に移行してくることも予想され、
監視は続けられていたようであった。

長野市内には料理店が25軒あって、そのうち「14軒」が点々とあるが、
このうち4軒では従来より売春は行われていないようであったので
売春は14軒中の10軒で、売春婦として働いていた者も約50人位であった。

売防法施行後、長野新地の業者は行楽客等を対象としてきた料理屋として
営業を継続して来たものであったが、
同地方は大阪市内を離れた閑静な地域である関係もあってか、
遊客を相手に売春は密かに行われていたようで、

所轄河内長野警察署では、
昭和31年にかっての売春(青線)地域から除外されている関係もあって、
同地域を売春のない明るい地域にせんと
極力業者並びに従業員を指導して来たようであった。

            1961年発行の公機関の資料より(再掲)
 

河内長野新地の歴史

 投稿者:萩間  投稿日:2017年 7月23日(日)10時08分20秒
編集済
  最近 河内長野新地についてわかったこと。

戦前 河内長野には
陸軍関連の施設  陸軍病院 陸軍幼年学校etc・・・
その関係で兵隊さんたちや接待用の施設の
需要があったみたいですね。

昭和8年に新地ができてから終戦まで
新地が衰退 復興を繰り返したとあるのは

今の信太山みたいな感じだったのでしょうか?

戦後進駐軍もいたという(八重別館のご主人談話)
話も聞きましたがどうなんでしょうか(関西まちBBS河内長野市part112)
 

2016年総括

 投稿者:鷹目  投稿日:2016年12月30日(金)22時46分43秒
   総括といっても主に和歌山方面の話です。

 下津 料理屋、転業旅館有り。ただし旅館は旧屋号で建物建替え済み。

 箕島 古い商店街沿い、裏道にあり。派手な意匠の店は少ない。

 御坊 北新地 転業旅館、料理屋あり。

 御坊 南新地 北新地ほど残っておらず、見所はしいて言えば旧置屋。

 串本 一二軒程度。

 勝浦 旧遊廓、当時物かなという建物が2軒ぐらい。

 勝浦 新地、旧検番、旅館有り。広範囲にぽつりぽつり。

 田辺 火事により、アーチとその周辺の店消失。奥に現役の料亭、旧料亭が片手ほど。
 

(仮)渡辺寛著作リスト(更新版)

 投稿者:夕凪  投稿日:2016年 9月 2日(金)07時46分22秒
編集済
  ●現時点で確認できた渡辺寛氏の著作リストを作成してみました。
 ※出版順で記載しました。

№ タイトル 掲載誌 発行年 備考
---------------------------------------------------------------------------
01.詫びる(小説) 文学評論 1935.05.01 新人推薦号
02.郷臭 (小説) 日本浪曼派 1935.06.XX
03.退潮期の一挿話 (小説) 日本浪曼派 1935.08.XX
04.大島紀行 (小説) 日本浪曼派 1936.04.XX
05.水晶 (小説) 日本浪曼派 1936.09.XX
06.弁慶橋 (小説) 日本浪曼派 1937.03.XX
---------------------------------------------------------------------------
07.赤線区域の経済白書 東京案内 1954.01.30
08.赤線漫談 東京案内 1954.05.01
09.赤線凉談 東京案内 1954.07.01 新東京通信編集長 渡辺寛
10.あのまち・このはな花街めぐり 東京・ヨコハマなんでもわかる 1955年版 1955.04.20
11.よるの女性街・全国案内版 旅行の手帖 №20 美女・民謡めぐり特集 1955.05.20
12.『全国女性街ガイド』 1955.08.20
13.よるの女性街・全国案内版  旅行の手帖 №23 美女・民謡めぐり特集 1955.08.20
14.女体風土記 東北地方の巻 面白倶楽部 1956.03 光文社
15.千人の職業女性に接した私の結論 100万人のよる 1956.04.01
16.旅の女 京の桜 週刊サンケイ読物 1956.04.08
17.★ 遊ぶ湯の里 芦原 百人百湯‐作家・画家の温泉だより‐旅行の手帖 1956.06.20 随筆家 渡辺寛
18.旅の女 野宴 週刊サンケイ読物 1956.04.22
19.『鄙びた湯・古い湯治場』 1956.06.01  新東京通信編集局長 渡辺寛
20.女が名物の秋の温泉旅行ガイド 熱海・伊香保・湯村・伊豆長岡・白浜・城崎・粟野岳・定義温泉 100万人のよる 1956.10.01
21.『温泉・女・風土記』 1956.11.15
22.東西温泉千夜一夜 100万人のよる 1957.01.01 大鰐・道後温泉
23.『酒と女』 1957.01.25 ※著者氏名なし
24.東西温泉千夜一夜 100万人のよる 1957.02.01 沼尻・玉造温泉
25.東西温泉千夜一夜 塩原と下呂の巻 100万人のよる 1957.04.01
26.東西温泉千夜一夜 肘折と和倉の巻 100万人のよる 1957.05.01
27.私は知りたい 100万人のよる 1957.06.01 随筆家
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28.女のいる全国避暑地ガイド 100万人のよる 1963.08.01 新東京通信社 渡辺寛&旅行家 中山勇治 共同編集
 

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