teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助 youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


2016年総括

 投稿者:鷹目  投稿日:2016年12月30日(金)22時46分43秒
   総括といっても主に和歌山方面の話です。

 下津 料理屋、転業旅館有り。ただし旅館は旧屋号で建物建替え済み。

 箕島 古い商店街沿い、裏道にあり。派手な意匠の店は少ない。

 御坊 北新地 転業旅館、料理屋あり。

 御坊 南新地 北新地ほど残っておらず、見所はしいて言えば旧置屋。

 串本 一二軒程度。

 勝浦 旧遊廓、当時物かなという建物が2軒ぐらい。

 勝浦 新地、旧検番、旅館有り。広範囲にぽつりぽつり。

 田辺 火事により、アーチとその周辺の店消失。奥に現役の料亭、旧料亭が片手ほど。
 
 

(仮)渡辺寛著作リスト(更新版)

 投稿者:夕凪  投稿日:2016年 9月 2日(金)07時46分22秒
編集済
  ●現時点で確認できた渡辺寛氏の著作リストを作成してみました。
 ※出版順で記載しました。

№ タイトル 掲載誌 発行年 備考
---------------------------------------------------------------------------
01.詫びる(小説) 文学評論 1935.05.01 新人推薦号
02.郷臭 (小説) 日本浪曼派 1935.06.XX
03.退潮期の一挿話 (小説) 日本浪曼派 1935.08.XX
04.大島紀行 (小説) 日本浪曼派 1936.04.XX
05.水晶 (小説) 日本浪曼派 1936.09.XX
06.弁慶橋 (小説) 日本浪曼派 1937.03.XX
---------------------------------------------------------------------------
07.赤線区域の経済白書 東京案内 1954.01.30
08.赤線漫談 東京案内 1954.05.01
09.赤線凉談 東京案内 1954.07.01 新東京通信編集長 渡辺寛
10.あのまち・このはな花街めぐり 東京・ヨコハマなんでもわかる 1955年版 1955.04.20
11.よるの女性街・全国案内版 旅行の手帖 №20 美女・民謡めぐり特集 1955.05.20
12.『全国女性街ガイド』 1955.08.20
13.よるの女性街・全国案内版  旅行の手帖 №23 美女・民謡めぐり特集 1955.08.20
14.女体風土記 東北地方の巻 面白倶楽部 1956.03 光文社
15.千人の職業女性に接した私の結論 100万人のよる 1956.04.01
16.旅の女 京の桜 週刊サンケイ読物 1956.04.08
17.★ 遊ぶ湯の里 芦原 百人百湯‐作家・画家の温泉だより‐旅行の手帖 1956.06.20 随筆家 渡辺寛
18.旅の女 野宴 週刊サンケイ読物 1956.04.22
19.『鄙びた湯・古い湯治場』 1956.06.01  新東京通信編集局長 渡辺寛
20.女が名物の秋の温泉旅行ガイド 熱海・伊香保・湯村・伊豆長岡・白浜・城崎・粟野岳・定義温泉 100万人のよる 1956.10.01
21.『温泉・女・風土記』 1956.11.15
22.東西温泉千夜一夜 100万人のよる 1957.01.01 大鰐・道後温泉
23.『酒と女』 1957.01.25 ※著者氏名なし
24.東西温泉千夜一夜 100万人のよる 1957.02.01 沼尻・玉造温泉
25.東西温泉千夜一夜 塩原と下呂の巻 100万人のよる 1957.04.01
26.東西温泉千夜一夜 肘折と和倉の巻 100万人のよる 1957.05.01
27.私は知りたい 100万人のよる 1957.06.01 随筆家
---------------------------------------------------------------------------
28.女のいる全国避暑地ガイド 100万人のよる 1963.08.01 新東京通信社 渡辺寛&旅行家 中山勇治 共同編集
 

(無題)

 投稿者:萩間  投稿日:2015年11月 5日(木)16時30分31秒
  彷徨人さま 夕凪さま
詳細なデータありがとうございます。

前掲の古文書は二枚ありまして、一枚は酌婦の勤務許可の警察署への届け出 もう一枚は雇人の身元の証明かつ雇いれの確認書
に相当するものです。
雇人の確認書には 雇用主の住所氏名がありそこから見ますと、料理旅館とありやはり旅館経営にその当時携わっていた方のようです。
当然ながら料理組合には加入されていたと思います。
ただ個人情報の関係もありあまり詳しいことは申し上げあげれませんが、明治期から住所も変わっていないとすれば、ご先祖が料理旅館に携わっていたかたも今は業種も変わってご健在のようです。
あえて私なりに推測しますと、やはり名古屋あたりに斡旋業者のかたに三重県の料理組合に斡旋してもらい地元の警察署に届け出をだして四日市の組合を通じて阿下喜の料理旅館に斡旋してもらったみたいですね。

それにしても明治の四十年代といえば交通も不便でまだ高校生くらいのこが一人で酌婦として旅館勤めをするなんて…。

 

三重県の特殊カフェー (再掲)

 投稿者:夕凪  投稿日:2015年11月 5日(木)13時32分16秒
  01.水郷園(長島村)       02.桑陽園(桑名市)      03.朝明待合組合(富田町)
04.菰野東町待合組合(菰野町)  05.湯ノ山支部(湯ノ山)    06.神戸六郷園(十日市町)
07.江島組合(江島町)      08.亀山待合組合(亀山町)   09.藤枝待合組合(津市)
10.久居支部(久居町)      11.上野支部(上野市)     12.名張支部(名張町)
13.松坂貸席組合(松坂市)    14.山田支部(宇治山田市)   15.神社三業組合(宇治山田市)
16.田丸支部(田丸町)      17.尾鷲支部(尾鷲町)     18.紀伊長島組合(長島町)
19.鳥羽待合組合(鳥羽町)    20.二見浦待合組合(二見浦)   21.浜島待合組合(浜島町)
22.渡鹿野待合組合(的矢村)   23.木ノ本支部(有井村)    24.引本待合組合(引本町)
25.阿下喜支部(阿下喜町)    26.港楽園(四日市市)     27.一身田支部(一身田町)

                           1950年の資料より
 

港楽園の阿下喜支部

 投稿者:夕凪  投稿日:2015年11月 5日(木)12時55分6秒
編集済
  さすが彷徨人さん、現地報告興味深く拝読させて頂きました。

ところで、あの資料で阿下喜は、
四日市の港楽園の“ 阿下喜支部 ”となっています。

でも阿下喜は、明治末より西桑名からの軽便鉄道が開通しており、
桑名との結びつきが強かったそうです。

そこで桑名の桑陽園の支部ではないかと考え、
資料を見直したのですが、やはり四日市の港楽園の
支部としか読めませんでした。

もちろん町としては四日市の方が、桑名より大きいのですが、
不思議な気がしました。

(参考)阿下喜はこんな町だそうです。

    ttp://www.kyoshu-komichi.com/ageki.html
 

阿下喜について

 投稿者:彷徨人  投稿日:2015年11月 4日(水)23時13分26秒
   勝手に横入りしてすみません。阿下喜は,平成23年9月に訪れました。夕凪さんからいただいた資料では,赤線が1軒だけ載っていました。以下,当日の記録を簡単に書きます。
 まず,図書館で郷土資料を探しました。手がかりは全くありませんでした。ただ,明治の
22年頃「料理クラブ」なるものができ,芸者をあげて飲んだり食ったりしていたという記述はありました。
 本町,西町,栄町と歩きますが,面影は感じられません。そんな中,「新角屋」というまんじゅう屋へ入って話を聞きました。そのおばちゃんの話によると,明治から大正の時代には,歓楽街は西町の方にあった。その後,赤線の時代には「川原屋」という店が,まんじゅう屋のすぐ北隣にあったという。その「川原屋」があったという場所には,それほど古くはない八百屋をやっていたであろう家が建っていました。
 もう1軒,本屋さんにも入って聞きました。ここのおばちゃんは,昭和14年生まれで,昭和30年頃は高校生だったと言う。川原屋について聞こうとしますが,「そんな名前だったかな?」と忘れているようです。でも,「飲み屋だったから……」と話すのを聞き,やはり,ここに元赤線の「川原屋」は確かにあったのだ,ということが分かりました。
 ちなみにまんじゅう屋のおばちゃんと本屋のおばちゃんとは,知り合いであり,二人とも阿下喜にお嫁に来たということでした。以上です。
 

一枚の古文書

 投稿者:萩間  投稿日:2015年11月 4日(水)16時02分43秒
  お久しぶりです。
しばらく前ですが、ヤフオクで酌婦契約願い(警察への届け&雇人届け)の古文書を落札しました。
まあ昔に書かれた物で何が書いてあるか気にせずほっといたんですが、この前思い出して解読を試みたんですが、明治の四十年代のものだったんですけど名古屋出身の方でした。
その当時の社会背景の例によって今なら高校生くらいの方でした。お勤めになられた所が、いまの三重県  阿下喜 なのでそうでネットなどでそれらしきとこ探してみたのですがいまいちよくわかりませんでしたよ。

まあ三重と言えば伊勢神宮のお詣りなどの途中ですし遊廓などはっきりしたとこでなくてもちょっとした温泉や旅館なんかにも酌婦としてお勤めされていたのかもしれません。
鷹目さん三重なんかの遊廓や赤線などで先ほどの場所もしくはその近辺で明治期に栄えた遊廓や酌婦など置いていた旅館なんかお心当たりありませんか?


 

洞川温泉

 投稿者:彷徨人  投稿日:2015年10月 2日(金)21時14分34秒
   夕凪さん,さっそくのご返信ありがとうございました。
 温泉はまだ20年ぐらいしかたっていないそうです。
 旅館街だけみると,やはりなかなかいい雰囲気なのです。
「縁側が開かれている」というのが,特徴のようですが,
提灯が道の上に並んでいたり,見方によっては,色町の
雰囲気のある建物がいくつかありました。
 

従是女人結界

 投稿者:夕凪  投稿日:2015年10月 2日(金)10時46分31秒
編集済
  彷徨人さんお久しぶりです。

手許にあった『奈良・大峰山「女人禁制」の解禁をめぐって』(2002年)と言う
冊子に下記の記述がありましたのでご紹介させて頂きます。

●資料5.「 大峰信仰を支えた『遊郭』」

 大峰山と洞川の近代史は、大きな時代のうねりの中にあった、
 それとともに、実は、男たちの大峰信仰には、もう一つの姿があった。
 それは、龍泉寺の近くに7、8軒の「遊郭」があったことである。
「遊郭」の存在についても『ある聞き書き』で聞いたAさんやBさん、
 さらにCさんの主張とは違う意味で、その歴史的事実を明らかにして
 記録として残しておきたいと思う。

「遊郭」がにぎわっていた時代には、大峰山に登るのが目的ではなく、
 大峰山にかこつけて洞川の「遊郭」で遊ぶのが目的であったという人も多くいたという。
 彼らの中では「精進おとし」「筆おろし」「垢おとし」といった符牒で語られ、
 堂々と行われていたのである。先の戦争までは、大峰山よりも、
 洞川の「遊郭」のほうが知られていたのである。


また『 洞川全景 』(発行年不明)という刷り物には、
龍泉寺門前の川に架かっている橋を渡った、大峰山に向かう道沿いに
12軒の旅館が記されています。
その中には現在も営業されている旅館と、同じ屋号の店も見うけられます。
やはり料理旅館方式で、名目は“ 仲居 ”だったのではないでしょうか?

もちろん“ 女人禁制 ”は男性の修験者が女性性に惑わされること無く
修行するためのものであったのですが、そこはそれで“ 精進 ”した後には ・・・・

(参考)ttp://6402.teacup.com/takanome/bbs/979




 

洞川温泉

 投稿者:彷徨人  投稿日:2015年10月 1日(木)20時56分33秒
   5連休に1泊2日で奥吉野の洞川温泉に行ってきました。あるHPで「門前に遊廓あり」
という内容があり,それがずっとひっかかっていたからです。ここは女人禁制の大峯山にの
ぼった男たちが,山を下りた後,「精進落とし」と称してこの旅館街で遊んだ,ということです。実際,旅館の主人などの話によると,その通りだったようで,そういう色町的な雰囲気は赤線後もだいぶ長く残っていたようです。20~30年ぐらい前かな,と話されましたが,はっきりはしませんでした。その後,海外からの女の人たち(フィリピン人など)がスナックなどにいた,という時代もあったようです。もちろん,今は健全な温泉街になっていますが,そのような話を聞けただけでもよかったと思います。もし,もっと詳しいお話をご
存知の方は教えてくださるとありがたいです。
 

レンタル掲示板
/82