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シェルブール要塞のドイツ軍守備隊 海軍編

 投稿者:のりっく  投稿日:2018年 1月 7日(日)09時47分34秒
   『コタンタン半島/シェルブールのドイツ軍部隊』ではコタンタン半島に展開していた、または増援としてコタンタン半島に急派された部隊を紹介しました。コタンタン半島での最大の戦略目標は半島先端にあるシェルブール港であり、それを守るシェルブール要塞ではドイツ軍守備隊とアメリカ軍の間で激戦が展開されました。それではシェルブール港とシェルブール要塞内ではどのようなドイツ軍部隊が戦ったのでしょうか?

海軍
フランスにおけるドイツ海軍部隊はパリに置かれた海軍西方集団司令部(Marine-Gruppen-kommando West)が管轄しており、シェルブール港を含む英仏海峡海域はルーアン(Rouen)に置かれた海軍海峡沿岸司令官(Admiral Knalküste)が管轄しました。
シェルブール港は英仏海峡に面したフランス最大の港湾であり、イギリス沿岸航路を攻撃する絶好の位置にありましたが、一方でイギリス空軍の行動範囲内であり、常に空襲の脅威の晒されていたことから小型艦艇が常駐していたのみでした。
________________________________________
海上防衛司令部「ノルマンディー」
Kommandant der Seeverteidigung der Normandie
Seekommandant Normandie

 ノルマンディー沿岸海域を管轄する海軍司令部で、シェルブールに司令部を置きました。司令部の管轄下にはシェルブール港の他にグランビル港とサン・マロ港の港湾司令部も含まれました。
・シェルブール港湾司令部(Hafenkommandant Cherbourg)
・シェルブール港湾警備戦隊 (Hafenshutz- Cherbourg)
  港湾警備を任務とした小戦隊で小艇とはしけを装備
・シェルブール海軍通信司令官 (Marine Nachrchten Officier Cherbourg)
・シェルブール海軍気象台 (Marine Wetterearte Cherbourg)

・グランビル港湾司令部(Hafenkommandant Granville)
・サン・マロ港湾司令部(Hafenkommandant St. Malo)
________________________________________
高速艇司令官支所
Nebenstelle des Führers der Schnellboote

高速艇司令官は1942年4月20日、水雷艇司令官(Führers der Torpedoboote)が解散したのに伴い新設され、高速艇戦隊を指揮しました。高速艇は高速艇司令官の指揮下にありましたが、実戦では地元の海軍司令官の指揮下に置かれました。高速艇司令官は艦隊司令官(Flottenkommando)の指揮下にありましたが、戦術上は海軍西方集団司令部に属しました。
高速艇司令部はオランダのスヘフェニンゲン(Scheveningen)に置かれ、支所はシェルブール(Cherbourg)の他、ブーローニュ(Boulogne)、ル・アーブル(Le Havre)、オステンデ(Ostende)、デン・ヘルダー(Den Helder)に置かれました。
________________________________________
第5高速艇戦隊
5. Schnellbootsflottille
第9高速艇戦隊
9. Schnellbootsflottille

 シェルブール港には第5高速艇戦隊と第9高速艇戦隊の2個高速艇隊で合計16隻の高速艇(Sボート)が配備されており、Sボート用ブンカーが建設されていました。D-Day以降、シェルブール港の高速艇隊は連合軍の上陸艦隊に対して攻撃を繰り返しましたが、さしたる戦果をあげられないまま消耗し、残存艇はル・アーブル港に脱出しました。

6月6日-7日夜 シェルブール港を出撃した14隻の高速艇がイギリス海軍のLST×1隻を撃沈しましたが、S-139とS-140の2隻が触雷、沈没。
6月8日-9日夜 11隻の高速艇が出撃し、LST×2隻を撃沈。
6月11日夜 引き続き出撃を継続。
6月12日夜 残存の6隻の高速艇はル・アーブル港に脱出
________________________________________
海軍 第260砲兵大隊
Marine-Artillerie-Abteilung 260

第1中隊「外堤防中央要塞」(Fort Central):9.4cmVickersM39(e)×4門
第2中隊「ブランケネセ」(Blankenese):9.4cmVickersM39(e)×4門
第3中隊「港湾鉄道駅」(Harbour Station):10.5cmSKC/32×2門
第4中隊「シェルブール砦」(Bastion Cherbourg):10.5cmSKC/32u×4門
第5中隊「ルル要塞」(Fort du Roule):10.5cmSKC/32u×4門
第6中隊「ランドメール」(Landemer):15cmSKL/28×4門
第7中隊「ブロミー」(Brommy):15cmSKC/28×4門
第8中隊「ヨーク」(Yorck):17cmSKL/40×4門
第9中隊「ハンブルク」(Hunburg):24cmSKL/40×4門

 第260砲兵大隊本部はシェルブールに置かれ、各海軍沿岸砲兵中隊(Marine-Küsten
-Batterie=M.K.B)はシェルブール要塞地区の砲台に配置されていました。
________________________________________
海軍 第10艦載高射砲大隊第3中隊 及びオルダニー島分遣隊
3./10. Marine-Bordflak-Abteilung mit Stützpunkt Alderney

1943年10月3日、ボルドーの海軍艦載高射砲大隊「ボルドー」から5個中隊により編制されました。装備した高射砲は8.8cmFlak、10.5cmFlak、20mmFlak等であると考えられますが、詳細は不明です。どうやら輸送船等に搭載された高射砲(艦載高射砲)により防空任務を行うための部隊のようで、あり合わせの砲をあり合わせの舟艇や船舶に積むことあったようです。

大隊本部(ビスカロッス)
第1中隊(ル・アーブル)
第2中隊(ボルドー)
第3中隊(シェルブール、及びオルダニー島分遣隊)
第4中隊(サン=マロ、及びグランビル、ジャージー島、ガーンジー島分遣隊)
第5中隊(カレー、及びブーローニュ分遣隊)
________________________________________
海軍のその他の後方・管理部隊

中隊規模の警戒部隊

海軍 第2レーダー大隊第4中隊(4./2. Marine-Funkmeß-Abteilung)

海軍 第22自動車大隊(22. Marine-Kraftfahr-Abteilung)

シェルブール機雷司令部(Sperrwaffenkommando Cherbourg)

海軍駐屯地管理部(Marinestandortverwaltung)

シェルブール魚雷管理部隊(Torpedokommando Cherbourg)

海軍建設隊(Marinebauamt)

海軍砲兵兵站部(Marineartilleriezeugamt)

海軍病院(Marinelazarett)

海軍食糧兵站部(Marineverpflegungsamt)

シェルブール海軍通信所(Marine-Funk-Station Cherbourg)

シェルブール海軍信号所(Marine-Signal-Station Cherbourg)

正直言って後半の司令部関係の後方部隊はよくわかりません(汗・・・
 
 

謹賀新年

 投稿者:のりっく  投稿日:2018年 1月 1日(月)16時21分4秒
  新年おめでとうございます。
今年も世界の平和と皆様の趣味道のご発展をお祈りいたします。

さて、一昨年の10月末で一旦定年を迎え、関連会社の嘱託社員扱いとなったため、もろもろのプレッシャーから解放されて、昨年は「マイナー部隊史」で3本も新規作成してしまいました。
今年は作業中の「シェルブール要塞部隊」を仕上げて、次回は「第1降下軍」でゆきましょうか。引きつづき警察部隊の更新も進めたいし、「戦時民間船舶」も始めたいな・・・
さて、どんな一年になるのやら(笑
 

年末最後の購入本

 投稿者:のりっく  投稿日:2017年12月31日(日)02時01分25秒
  12月8日に注文した本が本日到着しました。今年最後の購入本は
Panzerwrecks 21
http://amzn.to/2EhWryu
お馴染みPanzerwrecksシリーズの21巻目、今回はフランスからドイツ本土の間でのアメリカ軍の兵士たちによる記念撮影の写真が多いようで、データがはっきりしないものが多い模様です。

AFV Photo Album: Vol. 3
http://amzn.to/2lnixrI
今回はチェコスロバキア地域におけるパンター戦車の特集。

戦時艦船損失史
http://amzn.to/2CkxS5Y
2004年出版の本ですが、第2次大戦中に戦没した軍艦と民間船舶が網羅されています。この本の価値は情報の多い軍艦ではなく、民間船の戦没状況、場所、戦死者数などの情報が記載されていること。今回は中古本として購入したのですが、非常にきれいな状態で、本屋さんの新刊本と変わらないものが購入できラッキーでした。
 

ラスカン6

 投稿者:のりっく  投稿日:2017年12月25日(月)15時47分53秒
  おお!モデルグラフィックス2月号に「ラスカン6」の告知が!!  

グランドパワー 2017年 12 月号 その3

 投稿者:のりっく  投稿日:2017年12月19日(火)23時21分47秒
編集済
  第12特別編成戦車中隊の流れでR35(f)の装備、運用状況を調べるうちに解説の間違いを発見しましたので修正しておきます。

P79上段、P83
いずれもパリ解放時に放棄されたR35(f)で、イタリアではなくてパリ市内が正解
https://goo.gl/maps/ti3sFrfiyez

パリのカスティリオーヌ通りとモン・タボール通りの交差点で放棄されたパリ戦車中隊所属の51号車のようです。
http://i4.imageban.ru/out/2017/07/03/90087b213dc128f55247b2ffd2a67ba5.jpg

http://l450v.alamy.com/450v/cw90d1/a-german-tank-destroyed-at-liberation-paris-august-1944-cw90d1.jpg

http://media.gettyimages.com/photos/german-tank-at-the-corner-of-the-rue-du-mont-thabor-and-the-rue-the-picture-id104415218?k=6&m=104415218&s=612x612&w=0&h=Odw9YF6JSvMTCNSQXslsT-yEi8A9ytJ2aKI_BXmjnNk=


52号車も発見しました。
http://i3.imageban.ru/out/2017/07/03/61af6b643d7be930b823ebc7a78b1f6d.jpg

こちらはリヴォリ通りから7月29日通りへの入り口
https://goo.gl/maps/ibN1ZXXa1Fz
 

第12特別編成戦車中隊

 投稿者:のりっく  投稿日:2017年12月13日(水)20時41分21秒
  マイナー部隊史に第12特別編成戦車中隊を追加しました。

第12特別編成戦車中隊
http://www.eonet.ne.jp/~noricks/sub03/PzKpzbV12.html

あとR35の「ユーゴスラビア仕様」の件やブランデンブルク戦車連隊第2大隊のその後の情報追加もボチボチと進行中?!
 

第12特別編成戦車中隊 その3

 投稿者:のりっく  投稿日:2017年12月 7日(木)22時41分42秒
編集済
  今回はイタリア製捕獲戦車を装備した1943年末以降です。

 1943年末の時点で第12特別編成戦車中隊にはL40軽戦車×1両、L40突撃砲×17両、M13/40中戦車×4両、装甲車×9両のイタリア製捕獲戦闘車両が新たに配備され、フランス製戦車も引き続き装備されていました。1944年1月1日現在、中隊のイタリア戦車はL6軽戦車×2両、L6突撃砲×16両及びM13/40中戦車×4両となっていました。

 1944年4月15日、中隊は第12特別編成戦車大隊へと改編・改称され、大隊本部/本部中隊と3個中隊にM15/42中戦車×42両(43両とする資料もあり)を装備しました。その後5月1日と6月1日には各4両のM15/42中戦車を追加配備されたようです。
 その代わりにL6突撃砲×24両が1944年9月~10月までに段階的に装備から外されましたが、もちろんこれらの旧式車両は警察部隊などのさらに貧度の高い部隊にまわされたわけで、例えば第14増強警察戦車中隊では1944年9月以降に約20両のL6突撃砲が新たに配備されていました。

 1944年6月に大隊には第4中隊が追加編成され、7月1日付けの報告によると4個中隊でM15/42中戦車×59両を装備していましたが、稼働戦車は21両にすぎなかったようです。その他にもフランス製戦車も合わせて1944年夏の時点で合計94両の捕獲装甲車両を装備していました。大隊の装備車両1944年9月~12月の間、下記のように推移しました
               9月1日         10月1日         12月1日
M15/42中戦車  20両/稼働14両     33両/稼働10両     33両/稼働5両
オチキスH38  21両/稼働8両      18両/稼働1両      18両
ルノーR35      11両/稼働5両       6両/稼働5両       6両/稼働1両
L6/47突撃砲     9両/稼働6両       4両/稼働5両       4両/稼働2両

 1944年10月14日、ニーシ(Nis)の街がブルガリア軍とセルビアパルチザン部隊によって占領された際には放棄された中隊所属のM15/42中戦車×2両の写真が残されています。
 1945年1月、第12特別編成戦車大隊の第1中隊~第3中隊は装備を他の部隊に譲り、兵員はドイツのGrafenwoehrに移動して「ブランデンブルク戦車連隊第2大隊」に改編されました。第4中隊については第202戦車大隊に編入されました。
 

第12特別編成戦車中隊 その2

 投稿者:のりっく  投稿日:2017年12月 7日(木)01時46分48秒
  中隊の前身
 グランドパワー12月号では「第12特別任務群ヒューハー」となっており、これも「PANZER TRACTS」のPz.Kp.Furhr.Gruppe.z.b.V.12からの翻訳なのですが、マイソフさんも書いたようにPz.Kp.Fuhrungs Gruppe z.b.V. 12が正解のようで、これだと「第12特別編成戦車中隊指揮集団」あるいは「第12特別任務戦車中隊指揮集団」となります。

中隊の行動
 今回は1941年から1943年の間の中隊の行動をもう少し詳しく見てみましょう。
 1941年から42年の冬、第12特別編成戦車中隊と第202戦車連隊第1大隊で合計約150両の捕獲戦車が作戦に投入されました。1941年12月末の時点で、第202戦車連隊第1大隊は65両のオチキス戦車とソミュア戦車を装備しており、第12特別編成戦車中隊は18個戦車小隊で約90両もの戦車を装備していたことになります。このうち5個小隊はボスニアに送られ、セルビア人勢力と共産パルチザンに対抗しました。
 単純に考えれば当初の14個小隊からの増加分である第15~第18小隊がルノーR35(f)を装備したとも思われますが、実際はそんなに単純ではなさそうです。中隊の編成については『各2個小隊からなる5個集団に分割されて運用され、各集団には整備班と輸送段列が随伴した』との記述や、『中隊は本部小隊と15個小隊に各5両のR35戦車とH38戦車を装備』との記述もあり、以後の記録を見ても最大で15個小隊ではないかと思われます。最も旧式のルノーFT17(f)がルノーR35(f)と交換されていった可能性が高そうです。

 1942年1月、第714歩兵師団に配属された中隊の2個小隊がクロアチア独立国で初戦闘を経験しました。これはクロアチア独立国の一部となっていたボスニアに派遣されて第714歩兵師団及び第718歩兵師団に配属されていた第7小隊~第10小隊の一部で、小隊単位で分割運用されました。1942年4月にはこのうちの第8小隊の戦車3両がソコラツ(Sokolac)及びハン・ピイェサク(Han-Piesak)地区で戦闘団「Wist」に配属されていました。
 1942年5月28日付けの第718歩兵師団の記録によると、第7小隊と第10小隊はサラエボ(Sarajevo)に、第8小隊はトゥズラ(Tuzla)に、第9小隊はスラヴォンスキ ブロッド(Slavonski Bord)に分散して駐屯し、ソコラツ(Sokolac)及びハン・ピイェサク(Han Pijesak)地区でパルチザン掃討作戦に投入されました。

 1942年6月20日現在、第13小隊と第14小隊はSrijem地区で鉄道沿線や収穫期か終わるまでの警備任務に従事した後、8月末には戦闘団「ボロフスキ」(Kampfgruppe Borowski)に配属されてフルシュカ・ゴーラ(Fruska Gora)でのパルチザン掃討作戦に参加しました。第10小隊と第12小隊は8月に第718歩兵師団がSakovici及びヴラセニツァ(Vlasenica)地区で実施した作戦に支援部隊として参加しました。

 1942年9月28日現在のヤイツェ(Jajce)地区でのパルチザン掃討作戦での戦闘序列によると、第7小隊は戦闘団「Susnik」に配属されてTurbeに、第10小隊は戦闘団「Wist」に配属されてドニー・バクーフ(Donji Vakuf)に、第9小隊は戦闘団「Hummel」に配属されており、この地区での戦闘は11月末まで続きました。

 1942年の後半、中隊の4個中隊はボスニアの東部および中部で活動し、1個または2個小隊はSrijem地区にありました。1942年10月15日の時点で、第12特別編成戦車中隊は下記のように各地に分散して配置されていました。

中隊本部及び第4、第14小隊:セルビア駐屯軍司令部(在ベオグラード)
第1、第2小隊:第704歩兵師団(在セルビア)
第3、第5、第6、第11、第12、第13小隊:第717歩兵師団(在セルビア)
第7、第8、第9、第10小隊:第718歩兵師団(在クロアチア)

 その後、1942年12月には各小隊の配置は下記のようになっていました。
<在セルビア>
第3小隊:バリエボ(Valjevo)、第5小隊:Lajkovac、第6小隊:シャバツ(Sabac)、
第11小隊:オブレノバツ(Obrenovac)、第12小隊:シャバツ(Sabac)、13小隊:ロズニツァ(Loznica)、本部小隊:ボール(Bor) この他、第1小隊、第2小隊、第4小隊、第15小隊も駐屯地は不明ながらセルビアにあったものと思われます。

<在クロアチア>
第7小隊:Turbe、第8小隊:Tuzla、第9小隊:ビイェリナ(Bijeljina)、第10小隊:ルーマ(Ruma)第718歩兵師団に配属、第14小隊:ルーマ(Ruma)

 1943年初め、在クロアチアの各小隊に変化はありませんでした。1943年4月14日、第7小隊、第8小隊、第10小隊はゼニツァ(Zenica)へと移動し、第718歩兵師団に配属されました。その後第718歩兵師団は第118猟兵師団へと改編・改称されましたが、中隊の各戦車小隊は引き続き配属され、戦車集団「Steer」と呼ばれました。
 1943年5月12日、第2、第4、第5小隊は「Schwartz作戦」のためにベオグラードからサラエボへと鉄道輸送され、第118猟兵師団の師団司令部に配属され、さらに1個小隊が追加配属されて師団の指揮下に入りました。これら「Schwartz作戦」のための新着4個小隊は到着の翌日にはサラエボ市内のAlipasin Most地区に配備されました。
 1943年5月18日現在、3個小隊のうち2個小隊は戦闘団「Anacker」に、1個小隊は戦闘団「Gertler」に配属されており、戦車1両がFoca近くの戦闘で撃破されてしまったようです。5月20日付けの報告によると、3個小隊からなる戦闘団「Steer」が第118猟兵師団に配属されており、装備戦車13両のうち稼働12両と報告されています。この戦闘団「Steer」は3月中旬から4月にかけてゼニツァ(Zenica)に駐屯していた戦車集団「Steer」と同じものです。

 1943年5月31日現在の報告書によると、中隊はルノーR35(f)×22両(内稼働21両)、オチキスH38(f)×36両(内稼働30両)を装備していました。その後11月1日付けの報告書では装備車両はルノーR35(f)×2両とオチキスH38(f)×8両が稼働するのみに減少していました。
 9月1日付けの中隊の報告でSS義勇山岳師団「プリンス・オイゲン」にオチキス38H(f)×9両が引き渡され、代わりにルノーB2(f)×16両(内稼働12両)を年末に受領したというのも「PANZER TRACTS」からなのですが、一方でSS義勇山岳師団「プリンス・オイゲン」の記録ではルノーB2(f)がフランスに送り返されたとの資料もあり、以後の記録にルノーB2(f)が登場しないことも気になります。
 

第12特別編成戦車中隊

 投稿者:のりっく  投稿日:2017年11月26日(日)22時19分14秒
編集済
  グランドパワー12月号に掲載された部隊史の元ネタは「PANZER TRACTS No.19-1 Beute-Panzerkampfwagen」のようです。そこで今回はここに書いてないことを補足してみます。

戦力指示書(K.St.N)
 K.St.N1171シリーズでは軽戦車中隊の標準編制が定められており、K.St.N1171dの他に下記のようなバリエーションがありました。
1)「K.St.N1171」は1941年11月1日付けで制定され、中隊本部にII号戦車×5両、III号戦車×2両、戦車小隊はIII号戦車×各5両装備の3個小隊により編成
2)「K.St.N1171b」は1941年2月1日付けで制定され、中隊本部にII号戦車×5両、III号戦車×2両、戦車小隊はIII号戦車×各5両装備の2個小隊とIV号戦車×4両装備の1個小隊により編成
3)「K.St.N1171c」は1941年4月1日付けで制定され、中隊本部にソミュアS35(f)×2両、戦車小隊はソミュアS35(f)×1両、オチキス38H(f)×4両の装備3個小隊により編成

http://www.wwiidaybyday.com/
ここはKriegsstärkenachweisungenが掲載された大変ありがたいHPですが、「K.St.N1171d」は残念ながら掲載されていませんでした。

ユーゴスラヴィア王国陸軍
 ユーゴスラヴィア王国陸軍には2個戦車大隊と1個騎兵中隊があり、合計約120両の装甲車両を装備していました。陸軍の装備車両は1921年に配備されたルノーFT M1917軽戦車、1928年に配備されたルノーNC1軽戦車、1938年に配備されたスコダS-Id豆戦車、そして最新の戦車が1940年に配備されたルノーR35軽戦車でした。このうち近代的な戦車は54両のルノーR35軽戦車のみであり、軍の戦闘能力は第1次大戦の水準でした。

ユーゴスラヴィアの分割と占領
 1941年4月6日、ユーゴスラヴィア王国はドイツ軍の侵攻により10日ほどでたちまち制圧されました。ユーゴスラヴィアの領土は枢軸各国により分割され、スロベニアの北部3/2はオーバークラインとウンターステイヤーマルクとしてドイツ本土に併合され、南部1/3とダルマチアの一部はイタリアに併合されました。大クロアチア地域はクロアチア独立国として独立し、セルビアにはセルビア救国政府が樹立され、ユーゴスラヴィアの継承国家と主張しましたが、実質的にはドイツの傀儡政権でありドイツ占領下と同様でした。またセルビア北部、ヴォイヴォディナ地方の北西部はハンガリーに併合され、モンテネグロはモンテネグロ独立国としてイタリアの傀儡政権が樹立されましたが、これも実質的にはイタリアに併合されました。

 5月以降はセルビアに第704、第714及び第717歩兵師団が、クロアチアには第718歩兵師団が駐屯して占領任務に従事しました。戦車部隊は目前に迫るソ連侵攻に必要であり、占領軍には当初戦車部隊は配備されませんでした。現地部隊では放棄された装甲車両の回収が行われ、夏までにはユーゴスラヴィア王国陸軍の装備数の2/3にあたる合計78両の装甲車両が集められ、残りの1/3(約40両)は破壊されたり、行動不能となっていました。

 1941年6月22日、バルバロッサ作戦が開始されるとユーゴスラヴィア及びバルカン半島地域での共産パルチザンの活動が活発となり、このため第12特別編成戦車中隊はベオグラードに送られました。中隊にはユーゴスラヴィアで捕獲された装甲車両が追加配備されることとなり、集められた車両はベオグラードから56km南のムラデノバツ(Mladenovac)の施設に送られて修理と整備が行われました。砲塔ハッチの改造や無線機の搭載はここで行われたものと思われます。
 1941年夏、セルビアでは王党派のユーゴスラヴィア国内軍(ユーゴスラヴィア王国陸軍の残党、後のチェトニク)による大規模な武装蜂起も発生しており、現地の部隊ではトラック改造の簡易装甲車が製造されて戦闘に投入されましたが、本格的な装甲車両部隊の投入が強く要求されていました。1941年9月、第12特別編成戦車中隊は小隊単位又は小グループで現地の歩兵部隊に派遣され、セルビア全域で活動しました。中隊は9月中旬の時点で合計約40両のルノーR35(f)とルノーFT17(f)が作戦可能で、さらにルノーFT17(f)×8両が装甲列車に積載されました。

 1941年秋の時点でユーゴスラヴィアから捕獲されたルノーR35(f)×24両とルノーFT-17/18(f)×52両(フランスとギリシャから送られたものも含む)の戦車が共産パルチザンとセルビアでの武装蜂起に対して投入されました。9月中旬にはさらに増援部隊として第125歩兵連隊の一部、第220戦車猟兵大隊、第342歩兵師団、第202戦車連隊第1大隊がセルビアに送られました。

 1941年から42年の冬、第12特別編成戦車中隊と第202戦車連隊第1大隊では合計約150両の捕獲戦車が作戦に投入されました。1941年12月末の時点で、第12特別編成戦車中隊は18個戦車小隊からなり、約90両もの戦車を装備していました。このうち5個小隊はボスニアに送られ、セルビア人勢力と共産パルチザンに対抗しました。1942年10月15日の時点で、第12特別編成戦車中隊は下記のように各地に分散して配置されていました。

中隊本部及び第4、第14小隊:セルビア駐屯軍司令部
第1、第2小隊:第704歩兵師団(在セルビア)
第3、第5、第6、第11、第12、第13小隊:第717歩兵師団(在セルビア)
第7、第8、第9、第10小隊:第718歩兵師団(在クロアチア)
 

今日の爆買いその2

 投稿者:のりっく  投稿日:2017年11月22日(水)23時26分52秒
  艦船模型スペシャル 2017年 12 月号
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特集は「大鯨と日本の潜水母艦」と「伊58と米重巡インディアナポリス」の2本立て! 今回の「日本の客船」は東京湾汽船の「橘丸」で、なんと8ページの拡大版。昭和13年、大島航路の客船から海軍病院船として大陸へ派遣され、番陽湖で中国軍機の爆撃を受けて座礁、横転。その後浮揚されて修理後、日本に戻り徴用解除となりました。昭和18年、今度は陸軍病院船となり「橘丸事件」などありましたが無事戦争を生き残りました。復員輸送に従事した後、客船に復帰し、昭和48年に波乱万丈の生涯を終えて解体されました。

日本海軍護衛艦艇史 2017年 12 月号: 世界の艦船 増刊
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海防艦、掃海艇、駆潜艇、施設艇、哨戒艇、特務艇の大特集!ないない尽くしのなかで日本の護衛艦艇はいかに戦ったのか・・・

ああ、今日の4冊で1万トン級重巡洋艦が爆沈(笑
 

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