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呟きその69

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 8月 2日(金)22時26分14秒
  掲示板運営会社からのお知らせがあり、ちょっと改訂(?)してみました。  
 

呟きその68

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月25日(火)22時50分0秒
  なんか5年ぶり呟きです。まだ生きてましたー。
いろいろと書いていた過去の生き恥をさらしていますが…
ごくごく一部でも楽しんでいただけているなら、光栄です♪
 

もう見れないかと思いました。

 投稿者:通りすがり  投稿日:2011年 6月22日(水)02時34分48秒
  ヨーロッパの王室好きで、こちらのサイトも架空のお話ながら楽しく拝見しておりました。PCのお気に入りに登録していたのですが、先日PCが壊れてしまって・・・。
泣く泣く新しく買うことになったのですが、まったくバックアップをしていなかったものですから、こちらのサイトのアドレスがわからず(汗)。
検索してもなかなかヒットしなかったのですが、先程ようやくこの掲示板にたどりつきました~。

また楽しいお話が読めることを願っております。
 

呟きその67

 投稿者:管理人  投稿日:2007年 7月30日(月)22時00分9秒
   管理人、生きていましたー。

 私以外にもこのサイトを見ているひとがいて吃驚です。

 お久し振りです。落書き追加です。

 今回は大変でした。PCもろともデータ全削除を喰らう→プリントアウトしたものだけ残っている→文明の利器のおかげでPDF化→PDFからhtml化しました(某過去話)。
 でも、スキャン→ナゾの文字化けがあり、ある程度は訂正したつもりですが、見逃しているところ大です。見つかったら、こそっと教えてやってください。

 お待たせした甲斐がある話かどうかは不明ですが、最新版話もありますので。よかったら読んでくださいね。
 

呟きその66

 投稿者:管理人  投稿日:2004年 2月 9日(月)21時08分11秒
   水面下で、密かに更新~~。

 「王女さまと僕たち」です。
 女子高生だったンー年前の私、なにかあったのかと思います、こんな落書きを書くなんて。

 当時からあまりモノを考えていなかったということで……(逃)。
 

呟きその65

 投稿者:管理人  投稿日:2003年12月28日(日)00時53分37秒
   何ヶ月ぶりなんでしょ、この呟き……(苦笑)。

 よく判らない事情により、『美しく青きドナウ』第一部の「第五章 エーリカ・フォン・エーレンブルク 一」が途中で消えていました。
 元データはワープロの書院の中にあり、変換してなんとかアップしました。

 それにしても……なにが原因?? 他の部分は消えてないと思うけど……。
 

呟きその64

 投稿者:管理人  投稿日:2003年 7月22日(火)21時10分1秒
   HPの大改装をしてみました。いままで、どう考えてもデザインにまとまりがなかったものですから……。

 ついでに「美しく青きドナウ」第二部に追加です。
 恋愛路線って、つくづく私には向いていないようで……f(^ー^;。
 

呟きその63

 投稿者:管理人  投稿日:2003年 3月27日(木)21時55分7秒
  Ernesto さま
 ごきげんよう。

 拙HP、かーなーり唐突にお引っ越ししましたが、大丈夫でしたでしょうか?
 旧サイトは今月中に消えそうな予定です。

 さて。
 お返事が遅くなってしまって申し訳ございません<_o_>。

 >旧ヴァージョンでは見かけなかったような作品
 更新の度に、間違い探しレヴェルで追加していますf(^ー^;。

 >逆切れされて殴り合いの喧嘩になったことがあります
 そんな恐ろしい目に……(どきどき)。
 関西と関東ではエスカレーターの、いわゆる常識が逆なんですよね。
 家族&友人が上京してきた時など、乗る前に注意していますー。ご当地では、特にどちらというのは、ないのでしょうか?

 >○澤家
 なるほど……こちらのお宅ではそういうことだったのですね。これでまたひとつ賢くなりました<_o_>。

 >み●ほ銀行
 現在の経営陣は、どう考えても、創業者の意志を反映していないとしか、思えません。
 経済の発展のために、中小企業に金銭を貸し出すことこそ、銀行の使命だとお考えだったと、某国営局の日本史番組では語っていたかと……(呟)。

 >位階
 不勉強をきわめておりますので、こちらがどれほどありがたく、一般的なものだったかは存じません。ですが、名誉称号としては、相当のものだったかと……。

 >プロモータとして、わが国経済の発展に尽くした功績が認められてのことだったのでしょう
 こころから同感の意を示させていただきますm(__)m。
 ご子孫に関しましては相変わらずの不勉強さを恥じ入るばかりで存じませんが、初代栄一氏は個人の貯蓄よりも国家財政を慶喜公のお言葉で学んだとか。
 いかなる哲学(例 バケ猫藩の「●隠」。うっかりとドイツ語で読んでしまいました(>_<))も、自らの貯蓄の言い訳としてしまう議員もいる現在では、本当に奇跡のようなかただったと……。

 >パクリ挿絵
 建築学には蒙状態ですので、いつもご紹介画像を楽しく拝見しています。
 まともなレスが返せないのは、不勉強のためです……f(^ー^;。

 >旧李王家東京邸
 かろうじて記憶にあるかも……でも違う建物と区別がついていないだけかも……。
 近いうちに必ずリベンジしたく、思います。

 >旧○澤敬三邸平面図
 こうなっておりますのね……外観、移築前とは相当違っていたのでしょうか。

 続編、楽しみにしております♪
 

おまけ

 投稿者:Ernesto  投稿日:2003年 3月16日(日)00時51分22秒
   最近、いつものパクリ挿絵(?)がなかったので、遅れ馳せながら。

homepage2.nifty.com/kogen/htl.htm
 北○川宮邸新館と同じ建築家の設計により、昭和3(1928)年に目白に建てられた○川義親侯爵邸です。侯爵の御先祖は、尾張藩主でした。昭和40年代に八ヶ岳山麓に移築され、現在はレストランとして利用されているというこの建物は、設計者が同じだけあって、外観は宮邸とよく似ております。

www.ne.jp/asahi/akira/ishikawa/others/youkan/rioutei/rioutei.html
 旧李王家東京邸。項目をクリックすると画像が見られます。思い出されましたでしょうか・・って、わたし自身は行ったことはないのですけれど。

www.minpaku.ac.jp/exhibitions/special/200103/images/200103_05_01.jpg
 旧○澤敬三邸平面図(移築後の現況)。本館の周囲にラフに描かれた附属建物は、敬三が趣味の民俗学(そのコレクションの多くは、現在国立民族学博物館に収蔵されております。)のために邸内に作った私設博物館の位置を示すために書き込まれたもので、現存しません。本館の向かって左半分が、昭和4年に完成した洋館部分です。洋館増築以前の外観がこちら↓
www.minpaku.ac.jp/exhibitions/special/200103/images/200103_05_02.jpg
 

謹んで

 投稿者:Ernesto  投稿日:2003年 3月16日(日)00時48分24秒
  御転居のお祝いを申し上げます。

管理人 さま
 ごきげんよう。
 何だかとても悪いタイミングで御無沙汰してしまいましたので、お気になさっていなければと存じますが、故意にそうしたのではございません。
 わたしが単に見落としていただけなのかもしれませんが(そうなら、かなり失礼)、旧ヴァージョンでは見かけなかったような作品があるような気が。

>エスカレータの右側を降りていると
 危ない目にお遭いになりました。実は、エスカレータ絡みではありませんが、わたしも逆切れされて殴り合いの喧嘩になったことがあります。(こらこら) 途中で通行人が止めてくれましたので、病院や警察のお世話になるところまでエスカレートしませんでした。
 全く、どうしてこう気配りのできない輩が多いのでしょうね。普段は、高慢気質を発揮して(激爆)、こういう人たちをまともに取り合うと彼らと同レヴェルに陥ちちゃう、と思っているのですが、自制心を失った一瞬でした。
 関西では逆(つまり、左側を追越しスペースとして空ける。)とも聞くエスカレータのマナーですが、当地では未だ十分に浸透しておらず、とくに朝のラッシュ時など苛々させられます。時間がないときに限らず、わたしも短気で(当地の習慣に逆らって?)、前方が空いている限り歩くものですから。

>子爵のお孫さまがMr.だとすれば、お子さまは
 ○澤家では、御長男があんなことにおなりあそばしたので、爵位は栄一の死後孫の敬三が直接継承したわけですが、わが国の華族制度では、嗣子に対して特別な称号は用意されていませんでした。ただ、華族の後嗣は、原則としてあらかじめ当局(宮内省宗秩寮総裁。皇族や華族の身分と処遇に関する一切を取締まる地位にあり、現在は存在しない官職です。)に届け出る必要がありましたので、○澤家でも、おそらく長男の篤二を廃嫡した時か、あるいはそれから遠くない時点で、孫の敬三を嫡孫として届けたのであろうと思われます。
 父君が廃嫡された当時、旧制高校生だった敬三は、動物学の分野に進む希望を持っていたといわれますが、祖父の懇願を容れて、東京帝大経済学部に進むことにしたということです。将来の○澤家当主として、祖父子爵が創立した第一銀行(第一勧業銀行を経て現在のみずほ銀行)を統括する立場に置かれることが明らかで、銀行業務に習熟する必要があったからです。
 ちなみに、敬三は戦後大蔵大臣として財産税を導入、自ら三田の自邸を物納します。○澤邸は、一時蔵相公邸として使用されますが、間もなく公職追放を受けた敬三は、公邸を引き払って同じ敷地内にあるかつては執事の役宅だった三間しかない家に移り住み、畑仕事の合間を縫って、民俗学に没頭します。○菱財閥の令嬢で、英語が堪能だった奥さまは、夫が「何を考えていらっしゃるのか、ついぞわか」らず家出して別居。しかし、御本人は、追放解除後、経団連相談役、外務省移動大使などの重職にあって充実した後半生を送られたようです。
 
 称号ではありませんが、爵位とは別に、わが国には御存知のように古の律令制に由来する位階というものがあり、公・侯爵の嫡男は、成人すると自動的に五位の位階が授けられたようですね。ただ、伯爵以下の華族でもそうだったのか、よく判りません。
 位階は、現在では(憲法上の要請もあり)死者にしか贈られませんけれども、明治維新前は宮廷の官吏(その最上層が公卿)や上級武士に対してその家格の上下に応じて授けられ、維新後は華族の当主のほか、政府高官・将校などにも与えられました。
 ところで、華族は、戸主である当主と同一の戸籍にある限りにおいて華族身分なので、次男以下が独立して分籍すると、身分は平民となります。そのため、とくに由緒のある高位の家柄では、特旨を以って嫡男以外の男子に華族の家柄を立てさせた例が多々あります。
 ○澤家は、初代栄一が利潤の追求より起業家としての立場を優先したため、財閥としては微々たる存在でしたが、○澤家よりはるかに裕福で最大の財閥といわれた○井家や○崎家は、男爵しか与えられておりません。これは、栄一が旧将軍家に仕えた元士分であったことにもよりましょうが、何よりもプロモータとして、わが国経済の発展に尽くした功績が認められてのことだったのでしょう。
 次回は、その○井家の御分家のお屋敷を予定しております。お楽しみに。(?)
 

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